18.いち


 はじめから彼は好印象だった。好みだった。お気に入りだった。もし、今
の恋が終わったら彼に恋しようと決めていた。なので彼に恋をした。
 彼はとても楽しかった。とても話しやすい人だったのだ。明るく、元気な
人。何か聞けば簡単に答えるのではなく、きちんと自分の気持ちを言って答
えてくれる人だった。
 彼は人付き合いが上手だ。わたしはそう感じている。誰とでも仲良く話す
ことができるのだ。男女隔てなく。そこが羨ましいところであり、なんだか
やきもちを焼きたくなるところでもある。
 でも、彼が男女隔てなく話せるからこそわたしは彼とお話ができたのだと
思う。もし、彼が女の人と話さないような人ならばきっとわたしは胸を痛め
ながら恋をしただろう。
 彼と話すのがわたしは大好きだ。はじめの会話のきっかけは本当に些細な
もの。それからだんだんよく話すようになった。……いや、違うかな。だん
だん彼への警戒というか、緊張というか。そういうのがとれていった。彼と
は普通に話して大丈夫。そんな安心感が抱けるようになったのだ。
 彼はわたしを成長させ、幸せにしてくれた。好感度アップにはスキンシッ
プが効果的、というのをわたしは知っている。だが、なかなかできずに居た。
だが、彼だと簡単にできた。あまり緊張せずにさらっと自然にできたのだ。
しかも、いやがらない。そこでわたしの「いやがられたらどうしよう」など
というただの憶測は破られた。悩みがふっとんだ。別に触っても嫌われない
んだ。そう思ったのだ。
 だから、今のわたしは気軽に触れることができるようになった。なるべく
触れるように距離を縮めたり呼びかけるような用事を作ったりと積極的にな
れた。今までにない進歩。感動した。わたしもやればできるじゃない。自信
が持てた。
 彼との友達とも会話できるようになり、彼たちの仲間にも自然に入れるよ
うになった。何年ぶりかしら、この感じ。わたしは思った。
 わたしは本当に幸せである。彼との会話が幸せなのである。彼を見るだけ
で幸せなのである。こんな幸せは今まで訪れなかった。今までの恋は必ず「ど
うして振り向いてくれないの? 会いたいよ、話したいよ」と必ず切ない思
いを体験してきた。だが、今回は違う。切ない思いなどほとんどない。安心
感に満ちあふれている。「大丈夫。絶対大丈夫」そんな自信がある。
 聞いたことがあると思うが、心のこもった贈り物ならなんでも嬉しいとい
う話がある。わたしはこれを実感した。ものすごく驚き、喜び、幸せを味わ
った。
 本当に対した物ではない。彼は絵が描くのが得意なのでわたしが「パンダ
描いて」と頼んだのだ。彼にパンダを描いてほしかった、彼のパンダが欲し
かったのはもちろんだが、彼に何かお願いしたかったのである。頼んでみた
かったのである。ちょっとしたわがまま──わがままにはほど遠いお願いだ
けど──を言ってみたかったのである。彼は「えー? いや、別にいいけど
さあ……」とあまりのる気じゃなかった。
 わたしは後で紙でも渡して描いてもらおうかなっと思っていた。だが、し
ばらくして彼がわざわざわたしの所まで来たのだ。わたしは驚いた。わ、わ
たしに何かご用でもあるのかしらとドキドキした。彼は三回ほど折って小さ
くなった紙をわたしに差し出した。わたしは「え、ら、ラブレーターかしら
……」なんて思ってその紙を受け取った。「約束のパンダ」という彼の言葉
でその予想はうち砕かれた。
 わたしはすっごく嬉しかった。まさか、こんなにも早く、しかも本当にパ
ンダを描いてもらえるとは思ってもいなかったのだ。彼は「恥ずかしいから
人に見せんでよ、本当」と言った。なんだか二人だけの秘密のような気がし
て少し胸がくすぐったかった。なんだか親密感があった。とにかく、わたし
はものすごく嬉しかった。本当にうれしかった。もう、何と言ってお礼をす
ればいいかわからないほど嬉しかった。
 わたしは単純だ。だから、こんな些細なことでここまで喜べる。もちろん、
彼じゃない人でも喜ぶだろう。だけど、彼だからこそここまで喜べたのだと
思う。そう、好きな人から贈り物はなんだって嬉しいのだ。
 そして、肝心のパンダの絵。わたしは慎重に誰にも見られないように折り
畳まれた紙を開いていく。パンダが顔を出す。なんともかわいらしいパンダ!
思わず「わあ、かわいい」なんて声が漏れる。適当に描かれたパンダではな
く、きちんと丁寧に書かれたパンダ。黒い所はきちんと黒く塗られているし、
しかも背景付き。うわあ、丁寧だなあ! なんて思った。とにかく嬉しかっ
た。まさかここまでちゃんと丁寧に描いてくれるなんて思ってもいなかった
のだ。とにかく彼にお願いして絵が描いてもらえるという事実だけで十分売
れしかったわけで、彼の絵について考えるほど頭に余裕がなかったのである。
だからこそうれしさが強かった。この喜びをすぐに彼に伝えたかったけど、
生憎彼は身近にいなかった。
 まあ、こういうわたしの体験から言えるのが先ほどの言葉、「心がこもっ
ていればなんだって嬉しい」だ。ノートを一ページ破った紙に一発で描いた
ような絵だ。一銭の価値もない、お金で買えない価値の絵だ。きっと彼から
お洋服や高価な物をもらうよりもずっと嬉しいと思う。だって、わたしのた
めだけにわたしのことを思って描いてくれた絵なのだから。そう、わたしの
ためだけに描いてくれたのだ。わざわざ彼がわたしのためだけに描くという
労力を使ってくれたのだ。これがどれほど嬉しいことか!
 この絵をはじめて見たときのわたしの笑顔! きっととても幸せそうだっ
ただろう。彼に見てもらえなかったのがなんとも残念だ。でも大丈夫。この
絵はお守りだ。この絵を見るたびに笑顔になれる。だから、彼の前でこの絵
を見ればいいのだ。
 わたしは彼からはじめて心のこもった物をもらった。世の中には「それ、
いいように考えすぎ」なんて言う人がいるかもしれない。だけど、わたしは
それでいいと思う。どうせ思うだけなのだから、思うのぐらい自分のいいよ
うに考えたって悪くない。むしろ、そう言って人の幸せを邪魔する方がいい
行為だとは思えない。
 彼の贈り物にわたしは魔法をかけた。見るたびに笑顔になれる魔法を。さ
て、次は何をお願いしようかしら!


 えー。めちゃくちゃですな。
 まあ、「わたし」が幸せそうならそれでいいんですがね。
 いやあ、今の彼はとてもいいやつみたいですね、「わたし」にとって。