01:空 「いってきます」  そう言ってドアを開ける。さようなら、我が家。さようなら、ふるさとよ。またいつ か、戻ってくる。その日まで、さようなら。周遊は一歩一歩、踏みしめながら歩く。  息をめいいっぱい吸う。ふるさとのにおいを改めて吸う。こんな風にふるさとのにお いをかぐなんて、初めて。こんなにおいだったのかと思うとさびしくなる。もう、しば らくがこのふるさとで息を吸うことも吐くこともできない。もう少し、ふるさと全てに 関心を持っていれば。周遊は思う。  ふるさとを出る前に、ふるさとの景色を焼き付けておこう。ふるさとの思い出を振り かえりながらふるさとを楽しもう。そして、他の土地へ行こう。周遊はそう思い、いつ もの道をいつもどおり、右に曲がった。  草ばかりの道。人々が歩いていき、草が折られ、踏まれたところが道となっている。 その場所だけ、草が地面にくっついているのだ。そのまわりは緑青々とした草が元気よ くのび、風に揺れる。少し道から離れるだけで草村に入ってしまい、ジャリシャリと草 と擦れる音がしてしまう。草だらけの町。周遊のふるさとは草の町だ。  しばらく歩いていると図書館に着いた。周遊のお気に入りの場所の一つだ。周遊はい つもここで本を読んでいた。読書以外にも、趣味のことやら色々なことを図書館でやっ てきた。第二の家とでも呼んでいいほど、周遊はいつもここに居た。  周遊は図書館のガラスの扉をそっと押す。中へ入り、深呼吸。本の香り。もう、この においをかげない。もう、この場所で本を読めない。この場所にこれない。なんだか寂 しい。周遊は一階から二階、二階から三階を隅々見渡し、屋上に行く。屋上へと繋がる 思い扉をちからをこめて押す。ギイと音を立て、扉が少し開く。周遊は体重をかけ、勢 いよく屋上へ出、扉を閉める。中央まで走り、深呼吸。そして走り、手すりを掴む。ど っと風が吹く。髪が乱れ、服はなびく。目をギュッとつむり、ふるさとの風を体全体で 感じる。ああ、ふるさと。草の香りと強い風のふるさとよ。冷たい風が身を刺す。ああ、 わたしはこの風が大好きだ。  風がふっとやむ。目をゆっくりと開ける。向こうに山が見える。青々と輝く、二つの 山。ここの図書館の屋上の見渡しはいい。四階という高さだが、この町では一番高い建 物である。わたしはここが大好きである。この見渡しのよさが。この風を存分に味わう ことのできるここが。  仰ぐ。青い空が見える。雲がぽつぽつと泳いでいる。太陽はキラリと輝いている。だ が、すぐに雲に隠れる。現れたと思えばまた隠れる。この町の太陽は恥ずかしがり屋だ。 両手を空にのばす。手のひらを太陽に向ける。太陽が雲の布団から出てくる。周遊の指 と指の間から太陽の光が注がれる。手が黒く見える。まぶしい。目をつむる。目を開け る。太陽はまた雲に隠れている。周遊は手を胸の前であわせ、目をつむる。力強く両手 を押しつけ「感謝感激感動!」と叫ぶ。この町の風習である。空を見るならば、手の平 を太陽に向ける。そして光が注がれれば目をつむる。そして開け、手を胸の前であわせ、 力強く押す。そして感謝感激感動と叫ぶ。これは空があり、太陽があるということに感 謝し、感激し、感動するため、していることを表すためにする。  この町の人は空と太陽が大好きなのだ。  空と太陽があるからこそ、この町の草はぐんぐん元気よく育つ。  周遊は両手で握る手すりに体重をかけ、町を見下ろす。緑。緑色の町。周遊はその景 色を目に焼き付ける。もう見ることができないから。もう味わうことができないから。 もう、来ることができないから。周遊は目をつむり、ゆっくりと吹く風をあじわう。  さて……。次はどこへ行こうか。 好きだなあ、風。