02:空色  ふるさとで大好きな所。それは喫茶店。空色喫茶店。周遊はここが好きだ。草々が茂 る中に、白いレンガできた喫茶店がある。屋根は空色。空にとけ込んでしまうことがあ るほど、空に近い色だ。緑の草に白の建物。際だって見える。毎日かかさずまわりをキ レイにしているので、いつでも真っ白である。空色の屋根も、一度も曇ったことがない。  周遊は空色のドアを開ける。鈴が鳴る。いらっしゃいという声。カウンターに行き、 店長に挨拶をする。図書館の次によく来る場所だ。ここではゆっくりとコーヒーを飲ん だり、紅茶を飲んだり。ケーキを食べたりサンドイッチを食べたり。よくお世話になっ た。ここに居ると時間の流れがゆっくりに感じられる。のんびりできる。疲れた時だと か、辛いとき、悲しいときなんかにここに来ると嘘みたいにそれらがとれる。「何、変 なことで悩んでるんだろう」なんて思える。ここの店の人たちの笑顔を見ると疲れも吹 っ飛ぶ。ここは周遊の安らぎの場。 「そうか……出発するんだね」  よし、その祝いだ。今日は僕のおごりだ。何か食べていってくれ。店長はそう言って くれた。周遊は笑顔でありがとうと告げ、メニューを見る。今まで何度もここに通って きた。どれが美味しいかはもちろん知っている。それは全てだ。ここの店のメニュー、 全部が美味しい。だから。だから悩む。店長はそんな周遊の様子を見てはははと笑い、 席についてはどうかねと提案する。周遊はそれに賛成し、席につく。 「じゃあ、いつもので」  結局いつものを選んでしまう。安いのに見た目も味もいい。お気に入り。どれも安い し、見た目も味もいい。だけど、何度も食べているうちにこれがお気に入りになってし まった。店長は笑顔でかしこまりましたと言い、厨房へ行く。  ここは小さな喫茶店。店長とその奥さんと娘さんで経営している。店が狭いため、人 はあまり入らない。だからこそ、一人一人と話しができる。この店の人のほとんどが常 連客だ。そして店長を含めた家族と仲がいい。 「あ、周遊さん。父から聞きました。もう出発なさるって?」  娘さんだ。茶色の髪を一つに束ねている。目はまん丸としていて笑顔がかわいらしい。 店長譲りのおっとりした人。空色の制服に白いフリルのエプロンが似合っている。 「寂しいわあ。周遊さんのお話、いつもおもしろくていつも楽しみにしていたのに。も う、しばらくは周遊さんの話も聞けないし、声も聞けない。顔も見られないのねえ」  娘さんは残念な顔をする。すぐに笑顔に戻し、で、まずはどこに行くの? と興味津 津で聞いてくる。周遊は笑顔でまだ決めてないんだと答える。 「いいわよね、旅。あたしもしてみたいわ。だけど、お店があるからね。ふふ。旅人さ んがこの喫茶店にきたらうーんと話をきくんだ。この町の外の世界のことをね」  この町の人達はこの町の外の世界をよく知らない。この町の外を出た人が少ないのだ。 大きな町とはほど遠い、小さな町である。だが、この町を出なくても物資は十分に足り ている。自然も、設備もいい。この町の外に行かなくても、十分に満たされるのだ。だ から、この町の外の世界を知っている人はほとんどいない。周遊もその一人だ。  だから。だから周遊は外の世界へ行きたかった。外の世界を見、あじわいたかった。 「あ、ちょっと待っててね」  娘さんはそう言うとカウンターの奥まで行き、おぼんを持って戻ってきた。お待たせ いたしました、ご注文された空色喫茶特製のコーヒーとティラミスでございます。そう 言って娘さんはコーヒーをわたしの前に置き、ティラミスも置く。深くお辞儀をし、カ ウンターの奥へ戻っていく。  コーヒーからゆげがもくもくあがる。顔を近づける。顔が湿る。温かい。ふーっと息 をかけ、飲む。美味しい。ミルクがコーヒーの表面に浮かび、空の雲のようになってい る。これが空色喫茶の特製コーヒー。普通ならミルクを入れると沈んで全体と混ざって しまう。だが、空色喫茶は特殊な方法で表面に浮かぶようにしている。だが、その方法 が店の者じゃないのでわからない。  目をつむる。コーヒーのいい香り。コーヒーの入ったカップを両手で掴む。温かい。 じんわりと手から体中が温まっていくような気がした。もう一度コーヒーを飲む。喉か らお腹の底へ体の中から温まっていくよう。なんだか贅沢をしているような気分。  コーヒーカップから手を離し、フォークを握る。ティラミスの角をフォークで切り、 刺す。口に運ぶ。ああ、おいしい。甘すぎず、苦すぎず。クリーミー。なんと言えばい いのだろうか。言葉に表せないおいしさ。この世で一番美味しいんじゃないかなと思え る味。周遊のオススメの一品。  ティラミスを食べ終え、コーヒーも飲み終える。カチャリとカップを置く。窓の外を 眺める。草が風に吹かれ、揺れている。さあーっと音を立てているのが聞こえないのに 聞こえる。息を吸う。ああ、コーヒーのいい香り。この喫茶店はこんなにおいがする。 息を吐く。目をつむり、今をあじわう。  席を立ち、カウンターに行く。 「ありがとうございます。コーヒーとティラミス、おいしかったです」  ニコリと伝える。店長が微笑みながらこちらこそありがとうございますと言う。奥か ら奥さんと娘さんが出てくる。奥さんは周遊に袋を渡す。コーヒーの元。これをお湯で 溶けばうちの味を外でも楽しめるわよ。そう説明してくれた。娘さんは旅の話、聞かせ てねとお願いする。周遊は指切りをし、約束する。 「幸運を祈ります。感謝感激感動。忘れないでくださいね。今までありがとうございま す。また次も、お会いしましょう」  店長はそう言ってわたしを見送ってくれた。  空色喫茶。さようなら。  大好きです、空色喫茶。料理も人も存在も。  また風が吹く。どっと。周遊は空色喫茶を振りかえる。空色の屋根が空にとけ込んで いた。周遊はじっくりとそれを見つめる。焼き付けるために。  ココア作る時に、混ぜもせずただ単に牛乳を入れると。 ココアの粉末が表面に残るんだよね。それがティラミスみたいだった。 まあ、味は全然違うんだけどね。ティラミスみたいだなあって。