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ジャス炎ジャスミン×炎山

引力には逆らえない


 ぎゅっと抱きしめてほしかった。心が、寂しくなったから。ぎゅっと。人 のぬくもりの中に、腕の中に、チカラの中に居たかった。
 人恋しいと思う時がある。それは突然ふっ、とやってくる。今、風が空気 を運んできたように、そういう思いが吹いてくる。
 いつもの癖で唇を突きだす。頬杖をついて、両頬を指でぷにぷに押す。柔 らかい。顔はまん丸。かわいいのかな。それとも頬に肉がついてぽちゃって るのかな。
 もし、こう聞いてかわいいよ、そこがチャームポイントだよ、とか褒めら れたら、きっとこの顔が好きになるんだろうな。前髪の分け目、真ん中を指 でなぞる。七分わけ、似合うかしら。変かな。それとももう、癖がついてど うしようもないのかも。
 はあ、とため息をついてみる。だから、何かがかわった。ということは、 なかった。かわったのは空気中の二酸化炭素量かもしれない。でも、ほんの 微量だろうから、全然変わっていないだろう。
 息を吸う。苦しい。酸素が、足りない。喉をいっぱい広げ、一生懸命息を 吸う。どうしたのかな。肺の運動が悪いのかしら。それとも運動不足? 酸 素を吸うのに飽きたのかもね。
 ドアの前に立ってた。ドアをノックしてた。ドアから「どうぞ」と声がし たそうだ。あたしはドアを開けて部屋に入ったみたい。
 ドアを閉める。ガチャリといった。彼は椅子に腰かけ、本を読んでいる。 なんの本だろう。カバーがかけてあって、わからない。
 ぺらり。音をたてて本の世界が移り変わる。かちり。音をたてて時は次の 時へとバトンタッチを繰り返す。ひゅるり。音をたてて風は部屋の中の空気 をいれかえる。
 たくさんの音が聞こえるのは静かだからだろうか。あたしの胸の音も彼の 呼吸も、聞こえるように感じる。彼も聞こえているのだろうか。いや、聞こ えていないだろう。彼は今、本の世界で物語の上を歩いているのだから。 これからどうなるのかなと文字と文字の上を落ちないように。
 しばらく、ドアに背を預け、ぼーっと炎山を眺めていた。ぺらりとぺージ をめくる指先が細く、長く、キレイ。あたしの手と比べものにならないほど 色っぽい。白い指の動きに目が捕まえられる。
 眼は文字を追い、たまに表情を変える。一定の間隔で大きく息を吸い、吐 く。口元に微笑みを浮かべたり、噤んだり、突きだしたり。どんな話を読ん でいるんだろう。

「そこに黙って立ってないで何かしたらどうだ」

 本に視線を落としたまま、炎山はくちを動かした。体中に血液を送り出す ドクンという音が、カラダのなかで響く。一気にカラダ中が熱くなる。どう しようか。緊張をまぎらわすために髪をいじる。少しパサついている。
 一歩、踏み出してみる。一歩だけじゃおかしいから、もう一歩、もう二歩、 もう三歩。炎山の側に寄る。横顔が近くに見える。その場にしゃがみ、炎山 の顔を仰ぎ見る。どの角度から見てもキレイだ。どうしてこんなに整ってい るんだろう。
 ちらりとこちらを見ることなく、炎山は本をぱたんと閉じ、机上に置く。 背もたれにからだを預け、目をつぶる。ほのかに開いているくちもとは、吸 い込まれてしまいそうなほど、なまめかしい。今のあたしのように、他の誰か も吸い込まれそうになったのだろうか。……いや、きっともう吸い込まれて しまったのだろう。罪深い唇だ。炎山の気持ちに関係なく、吸い込んでくる のだから。
 あたしも、吸い込まれていいのかな。
 心の底からぽっと浮かび上がったその思いはさあ、っと砂が飛んでいくよ うに消える。そして、その砂は風に吹かれ、もとの位置へと戻ってくる。量 を増やして。
 眺めているだけで、こんなに近くにいるだけで幸せ。だけど、満たされな い。
 吸い込まれたい。このまま、吸い込まれたい。ねえ、いいよね。吸い込ま れて、いいよね?
 あたしは立った。そして、身をかがめる。このまま、吸い込まれよう。そ う思って癖で突きだしたくちを寄せてみる。
 ぱちっと炎山が目を開ける。胸が握りつぶされた。今までにない心臓の動 きがカラダに負担を与える。じっとあたしの目を見つめてくる。青く澄んだ 眼。澄んだ眼? いいや、澄んじゃいない。暗い。青い虹彩は澄んだように キレイなブルーだけども、瞳は澄んじゃいない。黒い。真っ黒い。奥底が見 えない程、深い。こういうのを奈落の底というのか? このまま奈落の奥底 へと落ちていこうか。
 ばっと炎山は椅子から立つ。あたしはひるみ、退く。あの奈落の底へと繋 がる瞳がわたしの瞳と繋がろうとしている。動けない。
 ドクドクと心臓は一生懸命血液を送り出す。指先まで血がめぐり、体中の 体温はいつも以上に熱い。

「ジャスミン」

 どうしたんだ。
 あたしの名前を、彼の喉の震えによって発された音で、きいた。その音の 低さはとてもここちよく、空気を、鼓膜を、心を振動させる。
 何かがこみあげてきた。音はきこえなかった。けれど、こみあげてくるの がわかった。満タンになったコップの底から水がさらに上へ行こうとこみあ げてくる。だが、こみあげる水はコップの縁へとあがり、果てしない底へと 向かって飛び降りていく。そんな感じ。

「らしくないな」

 ふっと口元に笑みを浮かべたものだから。あたしは炎山の胸に飛び込み、 背中に手をまわす。顔を胸に押しつけ、炎山の生きている証拠を聞こうとす る。
 ドクンと力強い鼓動が聞こえる。炎山もあたしと同じように鼓動の聞こえ る間隔がはやい。嬉しかった。あたしと同じようにドキドキしているから。 生きていたから。
 ぎゅっと強く抱きしめれば、その分からだを感じることができて。その分 からだを密着することができて。その分一体になっているように錯覚できて。
 髪にやわらかい感触をおぼえる。炎山の手。さらりと髪を撫で、あたしを 抱きしめる。やっぱり男の子だから手が大きい。ううん。手だけじゃなくて 全体的に、大きいのね。
 顔をあげ、顔を見つめる。炎山があたしを見て微笑んだ。
 吸い込まれそうな瞳と唇はあたしを見下ろしている。
 ねえ。

想被buxiangxiru

 吸い込まれていい?


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